会長が語る創業ヒストリー

なぜ、運送業を始めたのですか?

もともと私の父が、材木商を営んでいた関係で、材木を運搬することや積載する際にとても手間がかかっており、父が大変な苦労をしていました。今思えば、その手助けをする事が運送業をはじめるきっかけでした。

19才の時、運送会社さんに入社することができました。
大型免許は20才にならないと取得ができず、当時、自動車教習所はなかったものですから、朝方からずっと運転の練習をして覚えていきました。
1年後、大型免許を取得しましたが、会社では正規の運転手になるには、5年程かかるため、私はその会社を辞め、次に名古屋にある建設会社に就職しました。

一番大事なことは「信用」だと学びました。

その後、しばらく運転の経験を積んだ私は、22才の時にトラック1台で独立しました。年も若かったため保証がなく、ローンも組めない状態でしたので、次の車がなかなか買えませんでした。それでもなんとか知人に保証を頼み、2台目の車両を購入することができました。その時に、一番大事なものは「信用」なんだと初めて学びました。考えてみるとその時の経験が今の仕事の基礎を作ってくれたのだと思います。人から信用を得るために、とにかく全力を尽くそう、そう心に誓ったのもこの頃だったと思います。
最初に請け負った仕事は、パチンコ台の輸送でした。名古屋といえば、パチンコが盛んなところですので。パチンコ台を積んで、東京、京都、南は宮崎の日南海岸、鹿児島鹿屋市まで納品に行きました。パチンコの台替えをする時期の12月が繁忙期で、製品が予定時間に出荷できない時でも、到着時間の猶予はいただけなかったので指定時間に間に合わないことが度々ありました。時間遅れで到着すると、客先で運賃を払ってくれないなどのトラブルに見舞われ大変悔しい経験もしました。その後も発注元のお客様へも直接交渉に行って必死に営業をしたり、元請けの運送会社に出向いて仕事が途切れないよう地道に努力を続けてきました。

価格だけでなく、「自社の強み」や「特徴」を知っていただいた上で選んでいただく

地元を中心に、近県への輸送など次第に仕事も増えはじめた頃、お客様から運送の権利を譲り受けることとなり、埼玉に営業所を持つことになりました。 他社様からの譲渡ですから、元社員の方は、経営者が変わった事に不安を感じたんでしょうね、元々の社員の方たちは全員辞めてしまい、車両だけ残ってしまっ たものですから、弊社の名古屋在住社員に関東まで応援にきてもらったこともありました。しかしあまりいい条件の仕事には恵まれない状態が続き、悶々とした 日々が2年ほど続きました。そんなことからこの地で本当に根をはれるだろうか?と正直不安を感じておりました。1985年には豊川営業所を開設し、お客様先での構内作業も請け負わせていただけるようになりました。
時代は、バブルが崩壊し、アウトソージングにシフトしていく時代でした。
またその後も佐賀県や、熊本県にも営業所を出して、公共事業の輸送事業も受注しておりましたが、お客さま先での価格競争が激しくなり、業界で値崩れをおこすようになってきました。
私たちグループも、その仕事に対して業績が厳しくなり、ついには撤退をする決断をいたしました。

そんなことを教訓にし、同じ問題にぶつからないためにも値段だけで選ばれるのでなく、自社の強みや特徴をお客様に知っていただいた上で、当社を選んでいただけるよう「品質力」、そして「提案力」を磨くことがより一層大事だと考えるようになりました。

ヨットを通して、仕事の厳しさも一緒に学んだ気がします。

戦時中、知多半島に疎開にいっており、父が1週間に1度、海に連れていってくれました。小さい頃から海の香りや、風に吹かれたりすることが好きでしたので、社会人になったら風で帆走るヨットに乗って太平洋を渡ってみたいと夢を抱くようになりました。

その後念願であったクルーザーヨットを手に入れることができ、3人の息子をクルー(乗組員)として特訓する週末が暫くの年月続きました。冒険心旺盛な私は  “丸玉丸” と名付けたそのヨットで、憧れていた沖縄レースや小笠原レースにも出場することができ、今となってはいい想い出となっています。

そんなヨットとの出会いが縁で、ヨットの輸送をはじめたきっかけは20年ほど前からでしょうか。息子が大学のヨット部に入ったことで息子の出身校や他の大学 ヨット部からも、ありがたいことに輸送の依頼をいただくようになりました。
今では、孫も含め3代続けてヨットというスポーツを続けてきたおかげでか、 ある意味、会社の一つのブランドにもなりつつあります。ヨット輸送については、全国の大会情報をはじめ、輸送のタイミングなど、長くセーリングを経験をし てきたことが役立っていると思います。

まだまだ輸送の需要としては小さいものですが、それでも大学生や高校生、またジュニアセイラーなどが広く楽しむ事のできる海のスポーツを応援させていただく企業として、人と人とのつながり、想いを感じられる仕事に携わることができ、大変ありがたいことだと感謝しています。

セーリングは、ある意味、自然を相手にするスポーツですから、先が読めません。 それでも風を感じ、波を見て感覚をつかむのです。 仕事もある意味、風向きを 読みながらの操縦が必要です。こらえる時はぐっとこらえ、先に進む時は一気に進む。 先に進んでいく冷静な「判断力」と「瞬発力」、そして「気力」が必要 です。セーリングをやっていて、ある意味、仕事の厳しさと楽しさを一緒に学んできたような気がしています。

私たちのミッション「従業員とお客様の喜びを目指します」とは

私たちが掲げてるミッションのひとつに、「従業員とお客様の喜びを目指します」とあります。
これは、「従業員満足」と「お客さまのお役にたつこと」が私たちの事業の目的でもあることから、従業員とお客様の喜びを体感してはじめて役にたったと考えることで仕事が充実すると思っています。また、社員一人ひとりの家族にも自慢に思ってもらえるような会社を創りあげていくことが、おのずとお客様への喜びに繋がっていくものだと確信しています。

そして、創業から30数年、良いポジションで次世代の人間へたすきを繋いでいくことが私の最大の使命だと考えています。

沿革

  • 1978年(S53年)6月 港営業所開設
  • 1982年(S57年)6月 港営業所開設
  • 1985年(S60年)6月 豊川営業所開設
  • 1986年(S61年)9月 資本金5,000万円に増資
  • 1989年(H01年)10月 本社ビル竣工
  • 1990年(H02年)10月 京都営業所開設
  • 1991年(H03年)2月 東京営業所新築移転
  • 1997年(H09年)9月 大阪営業所開設
  • 2001年(H13年)3月 資本金8,000万円に増資
  • 2001年(H13年)12月 山口出張所開設
  • 2005年(H17年)4月 株式会社丸玉運送名古屋(旧港営業所)設立
  • 2005年(H17年)5月 株式会社丸玉運送豊川(旧豊川営業所)設立
  • 2008年(H20年)5月 丸玉運送豊川事務所移転
  • 2009年(H21年)1月 丸玉運送名古屋社屋新築移転
  • 2011年(H23年)5月 丸玉運送豊川本社事務所移転


写真左:当時のトラックは三輪。
前輪が故障すると修理が大変な時代でした。
写真右:27歳の時、ディーゼル車を手に入れる。


写真左:社屋の前で社員たちと撮影。
写真右:豊川営業所開設、落成式の様子。